「モンスター」 拡大解釈の危険性。

          最近「モンスター」という言葉を良くききますが、 「モンスター」が出現する場所は決まって「先生」と名の付く職業のいる場所だ。   言い換えれば「モンスター」VS「先生」 という構造があるという事は否定出来ない事実だろう。

 

   



   そう。 このVS(対決)構造に着目したい。  そもそもVS構造になるからには何らかのトラブルが必ずあるはずだ。 おそらくはほんの小さなトラブルが大きなトラブルに発展している例が殆どではないかと思われる。

 

   「小さい事に一々目くじら立てるな」 という人も最近は富に多い。  しかし、この「小さい」事を見逃せば「大きい」事に繋がる。 「蟻の穴から堤防崩れる」 正にこういう事だ。

 

   どうも日本人にはトラブル回避の基本がなっていないと感じる。  要するにトラブルから逃げたがる姿勢が大きなトラブルを呼ぶ事に気がついていないのである。  そうして大きなトラブルになったら後は「モンスター」扱いしてしまえばいい。 と常に目の前の出来事から目を逸らす。 ここにも「逃げ」の姿勢が顕著に表れている。

 

   実にいい言葉を作ったものだと思う 「モンスター」 と言えば全ての責任から逃れられるのだから。

 

  更にこの様な言葉が生まれる背景には「責任は自分は負いたくない なので責任を上手く転化してしまえ」という時代背景の模写である。 

 

    誰でもトラブルを好む者はいない。 しかしトラブルは日常起きるものだ。 そのトラブルの対策が出来ない人が多いのだろう。 小さいうちにどの種類のトラブルでも止めるべきだ。 そうしなければトラブルがエスカレートするのは何も「人間」 に限った事ではなく「パソコン」でもそうであるのは周知の事実だ。

 

   「モンスター」 の根底にあるのは「自分主義」であるのに間違いない。 「自分は被害者」と強調し主張するのはいいが、先に述べたVS(対決)構造に戻って考えてみよう。

 

   「喧嘩両成敗」という言葉がある。 「被害者」も「加害者」も罰するという事だ。  この様に「モンスター」という罵り合いはいい年した人達が何をやっているのか、恥ずかしくないのか? と思う。 罵り合っている暇があるのならお互い意見を聞き合う事が大事ではないのか。 人の意見を聞く。 そういう基本的な事も現代人は出来ないということなのだろうか。  残念ながら出来ないからこそ「モンスター」という言葉が出来良く聞くようになったのだろう。 

 

   何にせよ「責任」から逃げる風潮。  これはその時は「責任」から逃れられても「常に」 逃れる事は出来ない事を肝に命じた方が良いだろう。 なにせ人生は長いのだから。



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